ぼっちのホビーBlog[ボドゲ版]

主にボードゲーム中。ぼっちの時間を豊かにしたいボドゲブログ。

【深夜のボドゲ】ネイションズ:ダイスゲーム&拡張 アンレスト|僕はダイスを振る。盤上の運命を握っているのはこの右手で、いともたやすく指導者をすげかえている。

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ども。コモノです。

 

深夜のボドゲシリーズ第3夜のお時間。今宵は「ネイションズ:ダイスゲーム」とその拡張「アンレスト」がお供です。今は入手が難しくなってしまったこのダイスゲーム、実はとっても好きなんです。ボドゲに出会ってからまだまもない頃、ダイスゲームの魅力にハマった思い出深いタイトルです。以前の記事を読み返すと記事タイトルにその頃の熱量がそのまんま書かれていてちょっと恥ずかしさもありますが、今読み返しても楽しかったよなぁ..と思います。

深夜に旧作名作を振り返る「深夜のボドゲ」シリーズの第3夜は、大好きなダイスゲームについてです。

 

ダイス。それは何か自分で決めかねる時に祈りを込めて託すもの

「賽は投げられた」という言葉を知ったのは多分中学生の頃。

静かなる決意を感じるその響きに当時の僕はヤられていた。カッコいいな!と、単純にそんなことを言える大人に憧れた記憶がある。

 

ネイションズ:ダイスゲームを始めて遊んだ時に、まさにこのセリフを思い出しながらダイスを振っていた。あの頃憧れた大人のように人生における決断をしてきたかどうかはさておいて、ゲームの展開ぐらいは運だったとしても受け入れるくらいの気概はある。結果はまぁまぁ酷いものだったけど。

ダイスゲームを好まない人たちがいるのを知ったのも、このボドゲを好んで遊んでいた頃だった。色々調べていくうちにさまざまな意見に触れ「運任せ」がとにかく嫌だという人が存外多いことに当時驚いた。自分のそれまでの人生を振り返っても、思うようにコントロールなんてできた試しがなかったからだ。割とどんな結果であっても受け入れて擦り合わせて生きてきた自覚はある。

ネイションズ:ダイスゲームはその名の通り、びっくりするぐらいの数のダイスを振る。その振った結果をさまざまな事に割り当てて文明発展を導くゲームだ。ダイスの目は運任せだけど出た目をどう生かしていくかは自分で決める。このバランスにはちょっと痺れた。なるほど、運任せでも自分である程度決めることができるんだ!と当時はかなり感動したのを覚えている。運任せのダイスでも使い方次第で活かすこともできることを知った。

あれから○年が経ちいまだエンジョイ優先のライトユーザーではあるけれど、そこそこの数のボードゲームを遊んできたおかげで運の強弱がどうゲームに影響するのかは体感として理解できるくらいにはなった。それでも完全にコントロールしたいか?というと相変わらず「No!」なのだけど、昔は理由もわからなかったけれど今なら多分説明もできる。

 

責任からの逃避行。だって余暇だし?

決定とは責任であり、その行動の結果は決定した人が追う。ボードゲームは自分にとっての余暇であり気分転換だ。それゆえ負けた時に少しは運のせいにしておきたい。気分転換の遊びのつもりが仕事と同じような感覚で決定の連続をするなんてとてもじゃないけど疲れてしまう。余暇だからこそリラックスして楽しみたいのに、毎回負けた責任を感じていては本末転倒なのだ。

しかしゲームということを考えると勝ちたいという欲求はやはり出てくる。自分の思考の結果で勝ちたいという、運任せを言い訳にしたいくせにそんな相反した欲求が生まれる。ダイスはそのわがままを程よく実現してくれる良きツールだっていう事に気がついてから、ますますダイスゲームが好きになったように思う。

当然このネイションズ:ダイスゲームがその筆頭にあがったのは言うまでもない。

 

自分の感想とは定性的なもの。保障はない。

そしてこれが1番肝心なところなのだけど、自分自身が「面白い、好き!」と感じることが遊ぶタイミングによってブレブレだと言う事。もちろんその時々で概ね方向性くらいは決まってるんだけども、手にした時のメンタルとか気分とかによって楽しいと感じる時もあればそうでもないと言う、気分の波も大いに影響している事に気がついている。ダイスの目のような不確定要素は、ダイスを使わなかったとしても存在するし体験の感想には影響を及ぼすと思っている。

このブログは基本1人でボードゲームを触って得た感想を書いているので「誰と遊んだか」については影響がほとんどない。でもたぶんボドゲカフェで遊ぶことが日常だったならば、決まったメンバーでもなければ同卓した人によってかなりゲームの印象は左右される気がする。そのくらい「人」というファクターは自分にとって重要なのだ。外面よく「誰と遊んでも楽しいんです!」とはならないんだよね、現実は。

だから誰かと遊んでつまらなかった時のことをブログでは書かないし、1人でもつまらないと感じたゲームのこともあまり紹介したくない。そんなに真剣に批評するつもりで遊んでないからつまらなかったのは気のせいかもしれないし、よくわかってないだけかもしれない。このあまり深く考えてないでゲームを楽しんでいるスタイルにもネイションズ:ダイスゲームはハマった。

出目によって振り回される感じは適度な「ままならなさ」と感じるし、どのタイルを選びどの得点経路を狙うのか決定はダイスを見ながら自分で出来る。ただ気持ちが良くなるような高得点にならないってだけだ。

だから文明が勃興していく様や不測の事態に思うようにいかないことも含めて、現実もそうであるかのように思えてしまう。むしろ全てをコントロール出来ている!という感覚は驕りや自惚れではないかと、自分自身の自信のなさが警戒音を発するのだ。

 

きっと大昔の人もそういう悶々としてものを抱えて文明を導いてきたに違いないよね?そうだよねぇ...と助言者タイルの人の苦悩に思いを馳せたりするのも楽しい。

ダイスを振り、思うような結果にならず、いつかうまくいくといいなぁ...と次に期待を寄せて箱にしまう。そんな不確定だけどいつも次遊ぶことが楽しみになる。それが自分にとってのネイションズ:ダイスゲームなのだ。

 

なんてことをもやもや考えながら久しぶりに振ったダイスの結果は、

32点。

微妙....微妙だな...こんな時ぐらい過去最高点が出ればよかったのに。

 

成長がたいして感じられない結果になったけど、また遊びたいな!と思うボードゲームが手元にあるということはとても幸せなことに違いない。

 

 

【ネイションズ:ダイスゲーム 販売情報】

なかなかの入手困難さ。

affiliate.suruga-ya.jp

 

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